2010年08月16日

JL 123

春秋

2010/8/12付

 「東京発大阪行の日航123便がレーダーから消えた」。歴史に残る23文字というべきだろう。ちょうど25年前のきょう、全国の報道機関が受信した時事通信の速報ファクスだ。午後7時13分。あのジャンボ機墜落事故の第一報である。

▼紙片を手に、デスクが「おーい誰か」と叫んだのを覚えている。先輩記者が「524人も乗っているぞ」と声を張り上げたのは間もなくだったろう。総員呼び出しのポケットベルが鳴らされたはずだ。そのとき機体はすでに「御巣鷹の尾根」に散っていた。惨状は、いや場所さえも夜が明けるまで分からなかった。

▼あれほどの事故がなぜ起きたのか。検証はさまざまに重ねられ、教訓がつづられ、悲劇を繰り返さないための誓いを立ててきた四半世紀だ。航空界は当時とは大きく変わり、日航も今では経営再建中の身だ。けれど安全がすべての前提であることに変わりはない。それがおろそかにされるなら犠牲者の魂が泣こう。

▼騒然とするあの夜の編集局で、乗客を一人ひとり特定する班に組み入れられたのを思い出す。押し寄せてくる名簿のなかの、カタカナの名前、名前、名前。たくさんの企業戦士がいた。お盆で里帰りする親子が乗っていた。著名人も少なくなかった。ながい歳月を経たというのに、死者たちの無念がまた胸に迫る。


柄にもなくメモ。飛行機の中で読んだのがちょっと来た。


posted by ちゅやん at 07:56| 京都 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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